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Harry Winston / ハリーウィンストン 1ページで分かるブランド紹介 なぜ人気? 創設者ハリーウィンストンってどんな人?



皆様こんにちは、アイアイイスズの譜久島です。
ハリーウィンストンと聞けば、著名人の結婚指輪やアクセサリーなどでよく耳にすることがあると思います。
ただ、名前は知っていても一体どうゆう流れでブランドが成長していったのか、創立者ってどうゆう人?
という所はご存知ない方も多いんじゃないんでしょうか。。
今回はそういった疑問を紐解き、ハリーウィンストンの歴史や有名なアイテムを解説していきます。



1.ハリーウィンストンとは?



なぜ人気なの?魅力的な要因



ハリーウィンストンの特徴として、すべてのアイテムに最高品質のダイヤモンドを使用していることがあげられます。
透明度、ダイヤモンドのカット技術共に優れており、熟練の職人が石が持つ個性を見抜き一つひとつ丁寧にカットを施しているのが特徴。そういった一つ一つのダイヤモンドが集められて製作されたアイテムは、他では見ることのできない輝きや美しさを表現してくれます。






ベル・エンゲージメントリング

ハンティントン夫人のエステート・ジュエリーにインスピレーションを得て、製作されたエンゲージメントリング



ダイヤモンドを語る上で欠かせないのがこの「4つのC」と呼ばれる要素。
「カラット(Carat)」「カラー(Color)」「クラリティ(Clarity)」「カット(Cut)」
ハリーウィンストンのアイテムは、この4つのCすべてに対して最高級のものだけを使用。
「カラット」と「カット」においてはデザインの面もある為一概には言えませんが、「カラー」は”カラーレス”と呼ばれ、非常に透明度が高く「クラリティ(透明度)」は11の段階の内、上位5段階までのダイヤモンドを使用しています。
それぞれ段階が上がるごとに希少価値も高くなるので、ハリーウィンストンがいかに無色透明の美しい原石にこだわり抜いているのかがわかります。



ハリーウィンストンの始まりは「プレミア ダイヤモンド カンパニー」






1920年設立
 プレミア ダイヤモンド カンパニー





1932年設立
ハリーウィンストン



1920年 ハリーウィンストン氏はニューヨーク五番街535番地に若干24の若さで「プレミア ダイヤモンド カンパニー」を設立。
たった一人で会社を立ち上げた「プレミア ダイヤモンド カンパニー」はジュエリー市場において高い評判を築き上げ、ビジネスを大きく拡大させたハリーウィンストン氏は 1932年 自身の名を冠した会社「ハリー・ウィンストン」を設立します。
宝石の売買に加えて、デザインチームを組みジュエリーの作成に本格的に取り組み始め、世界5大ジュエラーと呼ばれるほどに成長するブランドを築き上げ、現代までその人気は続いていくこととなります。



有名な呼び名



「キング・オブ・ダイヤモンド」と呼ばれる理由



「ハリー・ウィンストン」が設立されてからの事業の成長は全世界が目を見張るものでした。
伝説的なジュエリーを保有し、「ハリー・ウィンストンは歴史的価値のある宝石を英国ロイヤルファミリー(イギリス王族)に次いで世界で二番目に多く所有している」と報道されるほど。
こういった功績から、アメリカの総合雑誌「コスモポリタン」は創始者ハリー・ウィンストンの輝かしいキャリアを評して、“キング・オブ・ダイヤモンド”という呼び名を贈りました。



「スター達のジュエラー」


映画「恋におちたシェイクスピア」でアカデミー賞主演女優賞に輝いたグウィネス・パルトローは、授賞式でハリー・ウィンストンのプリンセス・ネックレスを着用しました。 このハリウッドでの先駆的な出来事は、❝スターたちのジュエラー❞としてのブランドの存在感を世界中に示しています。





2.創設者”ハリー・ウィンストン”ってどんな人物?




ハリー・ウィンストン(Harry Winston,1896-1978)は、アメリカのニューヨーク生まれ。宝石商の息子として生まれました。
幼い頃から父親が経営していたウェストサイドの小さな宝石店でさまざまな宝石に触れて育ち、ハリーが13歳のときには一家はロサンゼルスに移住し宝石商を再開、そこで本格的に宝石商に携わり始めます。



宝石と歩んだ人生



1908・1909年
 宝石商としての才覚が目覚める


12歳の時、ハリー・ウィンストンは質屋のトレイの中にある緑色の石に目を奪われたました。
店主がガラスだと思っていたその石をエメラルドだと見抜いた彼は、持ち合わせていた25セントでこの石ともうひとつの石を購入。
質屋での発見からわずか2日後、このエメラルドを800ドルで販売しました。
帰宅後彼からこの緑色の石を見た彼の父親も、ただのガラスだと思いヤスリで削ろうとするほど。少年時代のハリー氏は唯一それをエメラルドだと見抜いたのです。
そこからハリーウィンストン氏は宝石に対する情熱と、類まれなる審美眼をもって宝石商の仕事に携わっていきます。
1909年には家族でニューヨークから西海岸に移転し、ロサンゼルスで宝石店を再開したウィンストン一家。
この時からハリー・ウィンストンは父親の下で経験を積み、数年後ニューヨークへ戻った後、自身でビジネスを立ち上げる決意をしたようです。



1920年代
 本格的な宝石商としてのスタートとパートナーとの出会い

プレミア・ダイヤモンド社(The Premier Diamond Company)をニューヨーク五番街に設立。
時を同じくしてハリー・ウィンストンは、アトランティックシティへ向かう電車の中で後に彼の妻となる魅力的な女性、エドナ・フライシュマンに出会います。



1930年代
 ハリーウィンストン社の設立


1932年

プレミア・ダイヤモンド社に代わり、自身の名を冠した会社「ハリー・ウィンストン社」をニューヨーク五番街に設立。



1934年


長い求婚の末、ハリー・ウィンストンはエドナ・フライシュマンと1933年2月に結婚。教養のある洗練された女性であったエドナは、ハリーに魅力的な影響を与えました。彼女の上品な佇まいは、しばしばハリー・ウィンストン社の広告にも反映された様です。



1940年代
 ビジネスの成長 キング オブ ダイヤモンドと成る


1942年



ビジネスの成長に伴い、ニューヨーク東51丁目7番地に移転。
セントパトリック大聖堂に隣接するこの建物には、移転ショールーム、デザインスタジオ、工房、ルースの専門部署が置かれた。
この建物にはウィンストン一家も居を構えたそうです。



1947年

この年にハリー・ウィンストンは、その輝かしいキャリアから“キング・オブ・ダイヤモンド”という呼び名が送られます。



1949年


「コート・オブ・ジュエルズ(宝石の宮廷)」と銘打った彼の貴重なダイヤモンドや宝石の展示会を開催。
地域の慈善事業のための寄付金を募りながら行ったこの展示会は4年間にわたって開催され、1953年に閉幕しました。
ハリー・ウィンストンは、「貴重な宝石をより多くの人々に知ってもらいたい」という名目からこの展示会を開催したようです。



1950年代
 海外進出し、世界的なジュエリーコレクターになる


1952年



ライフ・マガジン紙が、ハリー・ウィンストンは歴史的価値のある宝石を英国ロイヤルファミリーに次いで世界で二番目に多く所有していると報道されました。



1955年


ハリー・ウィンストンはスイスのジュネーブに初の海外店舗をオープン。また、1957年には、フランスのパリに店舗を構えました。



1960年
 ハリーウィンストン社のさらなる成長


ビジネスの急拡大に伴い増加する顧客の要望に応えるため、より広いスペースを確保する目的で、ハリー・ウィンストン社は新しい拠点として5番街718番地へ移転します。
引越しの前夜、ハリー・ウィンストンはスタッフに自身の「お気に入り」の宝石を集めるよう指示し、彼自身がそれらを梱包して5ブロック先の5番街へと運んだとされています。



1978年
 一時代の終わり

ハリー・ウィンストン氏がニューヨーク市内で82歳でお亡くなりになります。
その後、2人の息子が会社を受け継ぐこととなります。





3.ハリー・ウィンストンの保有・作成した名ジュエリー



ヨンカー



世界中の注目を浴びた726カラットのダイヤモンドの原石「ヨンカー」
著名なダイヤモンド商であるアーネスト オッペンハイマーは「これまで見た中で最も素晴らしいダイヤモンド」と言い、ダイヤモンドの採鉱・流通・加工・卸売として知られている会社「デビアス」のダイヤモンド査定官長は「柔らかな絹の様なブルーのこの原石は現在ある最大級の石の中で最も美しく、1個の石にカットしたら世界で最も素晴らしい石となるであろう」と報告するほどでした。



ウィンストン・クラスター



立体的なセッティングにより、あらゆる角度から光を取り込んでダイヤモンドを輝かせるテクニックや、宝石を留めるプラチナやゴールドの存在をほとんど感じさせない、素肌の上に直接ダイヤモンドをつけているかのように見えるのが特徴のジュエリーアクセサリー
1940年代初めに、デザインチームと共にハリー・ウィンストンの象徴となるウィンストン・クラスターのモチーフを完成させ、現在でも「クラスター・コレクション」として知られています。



レソト・ダイヤモンド



ハリー・ウィンストンの購入した601カラットの原石、アフリカ大陸南部に位置する立憲君主国「レソト」から採取されたことから名付けられた。
カットされたダイヤモンドのうち“レソトⅠ”と呼ばれる71.73カラットのフローレス・エメラルドカット・ ダイヤモンドのリング(上)や、海運王オナシスが、ジャクリーン・ケネディに婚約の 証として贈った40.42カラットの“レソトⅢ”は、今でも歴史に残るダイヤモンドとして知られています。



テイラー・バートン・ダイヤモンド



南アフリカのプレミア鉱山で発掘された、重量が240.80カラットのこの原石結晶をハリー ウィンストンが買い求め、69.42カラットの完璧なペアシェイプ・ダイヤモンドを生み出します。
オークションで入札が盛り上がりを見せたこのダイヤモンドは一時はカルティエが105万ドルで落札します。
しかし第二落札者であるリチャード・バートンがカルティエと電話で取引を交渉し、110万ドルでダイヤモンドを購入。
妻である女優エリザベス・テイラーに贈ったことから「テイラー・バートン・ダイヤモンド」と呼ばれることなりました。



ホープ・ダイヤモンド



45.52カラットのファンシー・ダーク・グレイッシュ・ブルーのダイヤモンド
世界で最も知られているダイヤモンドとしても過言ではなく、深い蒼の妖しい光は人々を魅了してきました。
色が濃くサイズの大きいブルーダイヤモンドが市場に出回ることは滅多になく、ダイヤモンドの1カラットあたりの価値はこの「ホープダイヤモンド」が世界で一番高価。
持ち主を次々と破滅させながら、人手を転々としていく「呪いの宝石」としての一面もあり、タイタニックで登場したハート型の大きなブルーダイヤモンド(碧洋のハート)は、ホープダイヤモンドをモデルにしたといわれています。
ハリー・ウィンストンはこれをワシントンD.C.にあるスミソニアン博物館に寄贈しており、現在も博物館内にある「ハリー・ウィンストン・ギャラリー」にて保管されています。




4.ジュエリーだけじゃない
ハリーウィンストンのタイムピースの魅力




歴史に残るジュエリーを取り扱ってきたことでこれまで地位を築いてきたハリーウィンストン。
これまでにブランドが培った宝石のセッティングの専門知識と、高級時計製造の技術を融合し、他ブランドにはない創造性あふれた時計も作成しています。




ハリーウィンストンの技術力に長けたウォッチ


「オーパス」シリーズという、革新的で大胆なモデルを2001年には発表し、独立時計師とのコラボレーションから誕生したもので、ずば抜けた発想と技術力により、発表されるたびに時計業界を驚嘆させています。
写真は「オーパス14」。ジュークボックスでレコード盤を取り出すような動きを見せ、9時位置の表示の下に3枚のディスクを備えており、右下のプッシュボタンを押すことで2時位置のディスクが入れ替わる仕組みを持っています。
機械式の時計でここまで複雑な機構を備える時計は他ブランドでもなかなか見かけられるものではなくハリーウィンストンの時計の技術力を感じられる時計の一つです。







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